お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

Last Dance For Me

別府市には、150とも200ともまたそれ以上ともいわれる共同湯の施設があります。温泉を管理するお膝元、市役所の温泉課すらも現状を把握できていないほどです。お役所に温泉課があると聞いた時は、ビックリしましたが。地区ごとに、そして個人のお宅にもアパートにも。ちょっと歩けば共同温泉があります。お風呂グッズと一緒に洗面器を持った人がそこかしこ、この町ではごく当たり前の風景です。道路脇の側溝からあがる湯けむりと、お湯の匂いに誘われて町を歩いてみました。すこし悲しいスケッチになりましたが、現実も素直に受け止めなければなりません。

朝見川にかかる橋の傍に、お湯の供給が止まって現在は使用されなくなった『月見温泉』が残っています。トタン屋根の隙間から月が見えたと、文献に記載されているほど開設当時はお粗末な湯小屋のようでした。川の水面近くにある貰い湯の配湯管に近づけるためなのか、道路からすこし低いところにありました。ここを出て西へ数百メートルの場所にも『大野温泉』という共同温泉があったそうですが、アパートや新しい住宅が建ちこんでいて場所が確認できませんでした。

すこし西へ歩いて、流れ川通りにでてみましょうか。山を見上げればラクテンチのケーブルカーがちょうど山腹で交差するところです。春にはこの山は桜の花でピンク色に染まります。ラクテンチの右手あたり、観海寺からどんどん登っていく道路沿いに『中間温泉』があったそうです。ずいぶん探してみたのですが、痕跡すら残っていないくて結局わからずじまいでした。ただこの温泉のすぐそばと思われる場所にあるF様のご自宅のお湯を、ご好意で拝借させていただいたことがあります。コンクリート作りの浴室の窓から見える、別府の町並みや青い海が印象的でした。

そんなことを思い出しながら流川通りから秋葉通りへ、そして海へと下ってみました。JR日豊本線のガードを挟んで小奇麗な家が、広くなった道路に沿って並んでいます。この道路の下には拡幅で、3年前に廃業した『瀧見温泉』と『秋葉温泉』が眠っています。楠銀天街まで下りて左へ曲がり、少し歩くと『寿温泉』です。番台のおばあちゃんは今日も元気で話し好きです。お向いのやなぎ京菓子屋の横には『柳温泉』が、また市営『浜脇温泉』の傍には『浜脇高等温泉』がありました。いずれも私が別府に住んでいた頃はまだ営業していたのですが、当時は近所の共同温泉に月極入浴をしていたので、わざわざ遠くへ出かけてお風呂をいただくことはありませんでした。地区ごとに共同温泉があって、それだけ贅沢に無神経に温泉をつかっていたのでしょう。自然の恵みをいただいている実感も、温泉に入っているという有難さも無く、たんなる風呂として利用していました。罪深いことですね。

今度は、少し扇山のほうへ上がってみましょうか。源泉の枯渇で廃業した『孔雀温泉』の湯小屋は現在も残っています。お菓子製造会社の社長が従業員の慰労をかねて建てられたというお話を、向の家のご主人からお聞きしました。『堀田西温泉』は無残な姿をさらしていました。荒れ放題の浴室にからっぽの湯船、言葉もなくただ立ち尽くすだけで、湯小屋の後ろで勢いよく上がる墳気が悲しく映りました。明礬温泉の湯の華小屋を眺めながら、さらに山を登って『湯山共同湯』を訪ねてみました。車を止めて谷あいの細い道をどんどん下ると、趣のある立派な湯小屋が見えてきます。扉を開けると、お湯がない赤茶けた浴槽がポカンと間抜けな表情でありました。昭和初期の頃、浴槽は三泓あったそうです。戦時中一泓は村民が、他の二泓は将校と陸軍の兵士が利用していたとか、いろいろな過去やお話が共同温泉にもあるものなのですね。

この他にも、何度か訪ねた上人にある『牛の久保温泉』も探すことができませんでした。野口の『ふじ湯』前のベンチに腰をおろしていたおじいさん、『もう3年くらい前かなあ』と。その時のままでしょうね、入り口の窓に貼られた廃業の知らせが色あせて残っていました。

今日も人知れず、どこかの共同温泉が静かに幕を下ろしているのかもしれません。文化遺産だの、保存だのと『旧浜田温泉』のお話ばかり取りざたされているようですが、立て替えられて形を変えても存続する共同温泉は、幸せだと思います。今まで地元の方と、暮らしの中で共存してきた共同温泉達の、朽ち果てたままの姿を見ると心が痛みます。そのうちに住んでいる町に共同温泉があったことすらも、忘れ去られてしまうことでしょう。30年前、共同温泉でそしてこの別府の町で、人として生きていくための大切なことをお湯の中でたくさん教えていただいたと思っています。温泉文化の象徴共同温泉は、私にとっては忘れることのできない貴重な財産となりました。臨時で入浴される方はマナーをきちんと守って利用し、地域の方も門戸をすこしでも開放できるような運営方法を考えていただいて、大地からの尊い恵みを末永くお互いが共存できる環境にしていただければと、切に願っています。私は彼らが消えてゆく前に可能な限り、お湯やそこに流れる空気や匂いを体で感じ、記憶していきたいと考えています。 

お願いです、せめてラストダンスは私と。

【参考文献 安部厳著 別府温泉湯治場大辞典】