お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

 『 故郷の記憶 』

" 大分県内初空襲 新映像発見 " 8月3日の大分合同新聞一面報道。

戦争関連の資料発掘や保存を進める『 豊の国宇佐市塾 』は、

2013年から19年にかけて米国立公文書館から映像を購入解析している。

塾頭が、菩提寺の和尚。

昨日、盆参りのお努めくださった後にその話になった。

 

" 宇佐海軍航空隊 " すぐ傍に祖母の実家、ワシはそこで生まれた。

母が女学校時代は戦争のさ中、学問どころか女子挺身隊という勤労奉仕に従事。

家への帰り道、グラマンの機銃掃射をうけ九死に一生

航空隊があるせいで、アメリカ軍の空爆は11回に及ぶ。

B29爆撃機が八面山に墜落した時、みんな竹やりを持って駆けて行った。

そんな物量差の戦い、戦局はあきらか。

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( 宇佐平和資料館には、映画『永遠の0』で使用された実物大レプリカを展示  )

終戦まじかには特攻の基地となり、宇佐からも零戦など105機が出撃。

何度か、出撃前夜の隊員を祖母の家に呼んでもてなし見送ったとか。

飛んで行った彼ら154人、二度と帰ってこなかった。

 

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現在も、あちこちに残る掩体壕 ( えんたいごう )

あー、これはワシに美術を教えてくれた若い女先生のお宅。

戦闘機を隠すための格納庫、今は倉庫代わり。

 

『 実は和尚。宇佐で生まれ育ったのに、初めて爆弾池を見ました 』

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これは、いつ頃の映像?

訪ねるときれいに整備され、ここにあった航空隊の面影はない。

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展望台に登る、目の前に広がるのはのどかな宇佐平野

『 あんな、今年の盆にここで鎮魂の花火を上げる予定 』

『 こん田んぼんどっかに零戦が埋まっちょん、掘り出してやりたいんじゃ 』

和尚を突き動かす、尊い郷土愛と風化させてはならない戦争の記憶。

おりしも明日は、広島に原爆が投下されて75年。

穏やかな風景、今生かされている事へ感謝。

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