お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

 『 終戦 』

母が亡くなったのは、終戦まじかの8月5日。

葬儀の日、住職がポツリ。

『 あの事を話せる方、橋渡し世代の方がほとんどいなくなってしもうた 』

 

あの事とは戦争、そして " 宇佐海軍航空隊 " が存在していた事実。 

南北に延びる滑走路から、母の実家は直線で500mほど。

女学校に通っていたが、勉強どころではなく勤労奉仕の毎日。

戦闘機を格納する掩体壕を造ったり、旋盤を使って弾丸の加工。

作業後の帰宅中、グラマンの機銃掃射を受け九死に一生

f:id:ohirune-manbou:20210816164830j:plain f:id:ohirune-manbou:20210816164903j:plain

f:id:ohirune-manbou:20210816204954j:plain f:id:ohirune-manbou:20210816205040j:plain

S20年3月から空襲が始まり、爆撃機のべ400機あまり終戦8月まで10回。

周辺の集落にも、被害が及んだ。

母の実家、庭に防空壕があった。爆弾が落ちてきた時の怖さは、想像を絶する。

 

永代供養をお願いしている菩提寺、ご先祖に挨拶と一年の無事を報告。

f:id:ohirune-manbou:20210816165143j:plain f:id:ohirune-manbou:20210816165244j:plain

住職に無理を言って、空襲された当時の写真を見せてもらった。

赤い印が母の実家、通った小学校が左上。

f:id:ohirune-manbou:20210816162015j:plain

f:id:ohirune-manbou:20210816210111j:plain

 

墓参りの後、初めて訪ねた " 宇佐空の郷 " と "  宇佐市平和資料館。

航空隊の被弾した門柱、見ながら説明を受ける。

零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦。オモチャみたいなコクピット、よくこれで・・・。

f:id:ohirune-manbou:20210816204357j:plain f:id:ohirune-manbou:20210816204437j:plain

f:id:ohirune-manbou:20210816231426j:plain f:id:ohirune-manbou:20210816212535j:plain

f:id:ohirune-manbou:20210816212457j:plain

爆弾池から眺めた基地の跡、今は青い稲が広がるおだやかな風景。

滑走路跡、真っすぐ伸びる道路。 

f:id:ohirune-manbou:20210816210641j:plain

f:id:ohirune-manbou:20210816210725j:plain

ここから飛び立った神風特別攻撃隊、154人の若い命が散った。

出撃前夜は自宅に泊め、皆さんを見送ったという母。

こうして書く事で、思いのかけらが一つでも伝われば。

のどかで争いのない世界、願わずにはいられない。