お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

Vol.637『 別府のお父さん・お母さんへ 』

2003年の日記を、修正加筆しました。
おばちゃんはずいぶん前に、
おじちゃんは昨年お亡くなりになられました。
先月、一周忌を兼ねた回顧写真展が行われ、
久しぶりにお二人と再会。
たくさんの温かく優しいお心をいただいた事に、感謝申し上げます。
ありがとうございました。( 回顧展の記事は、後日書きます )


平成11年夏、訃報が届いた。
道路拡幅のため、末広町にある 『 瀧見温泉 』 が廃業するという。
声がでなかった。その事を紹介する新聞の記事を、何度も何度も読み返す。
心の中に仕舞っていた、大切なものが奪われていくような気がした。
16歳で親元を離れて暮らし、この町で初めて共同温泉というのを利用した。
その瀧見温泉が・・・。。


翌日、手早く仕事を終わらせ別府へ向かう。
国道を左折し、秋葉神社の前を通り過ぎると家がまばらになり、
見覚えのある懐かしい風景は広い空間になっていた。
柵が設置され、資材や工事中の看板などが所狭しと置かれた先に
吉松さんの家の灯かりが見えてきた。


『 こんばんは 』 ・・・ 。 『 はい、はい。失礼ですが ・・・ 何方ですか? 』
毎朝、スクーターのラビットに乗って仕事場へ通っていたおじさんが、年老いて目の前にいた。 
『 あの・・バカ坂です 』 
『 えっ! ワッセか? 』
『 はい! 』 
『 おーい、母さ〜ん。ワッセだ、ワッセが来てるぞー! 』


奥からおばさんが、足を不自由そうに引きずりながらゆっくりと出てきた。
笑顔はそのままだったけど、その姿に私は思わず目を閉じた。
無理もない。あれから30年、過ぎてきた時間はあまりにも重く、不沙汰を詫びた。
じっとしていることが嫌いで、いつも動き回っていた私のあだ名だけがそのまま残って・・・。
おじさん、おばさん、僕も歳をとりましたよ。


『 うちに下宿していた坊主が最後に入りたいそうだから、たのむわ 』
吉松さんが前の八百屋に声をかけてくれ、風呂に入る了承をいただいた。
おじさんの家は、おばさんの足の事もこともあって
ずいぶん前から、瀧見温泉を利用していないそうだ。
丸いタイル張りの湯船、淵から溢れた湯をうける側溝には放射状に木の蓋が。
当時のまま、何も変わらない浴槽に体を沈めると、私のつまらない感傷を熱湯が砕いた。
掲示板には使用温度48℃と記載、不老泉からの引き湯である。
現在の建物は昭和31年に改築、
明治42年開設当時は、ここからラクテンチ裏の乙原の滝が見えたという。


おじさんから、あと少しでここの家じまいをすると聞かされた。
離れの2階にあった下宿部屋も、表具をしていたおじいさんの作業場も、
あの路地も、町の匂いやご近所さんの声も、消え去ってしまうのだろうか。
せめて、お二人が穏やかに暮らしてほしい、そう心の中で頭を下げた。