お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

洗面器が似合う街

隣の村井酒屋が積み上げたビールの空き箱で、さらに狭くなった路地を
同級生のTが壁に背を当てながら蟹歩きで入って来る。
私は2階にある下宿の窓から声も掛けずにじっと見ていた。
暫らくすると、階段を踏み鳴らしてTが丸い顔を出す。
襖を開けしな、丸っこい手から差し出されたのは、いつもの『とらや』の鯛焼き
まだ暖かい、何故だかほっとする。
二人で黙々とただ食べ、一息ついたところでTが始めて口を開く。
 『 風呂行かないか? 』 『 どこに行く? 』 と私。
 『 南的ヶ浜、風呂から出たらKの所へ行こう 』
そこはここからは20分は歩かなければならない。
下宿の近くには瀧見も秋葉も末広もすぐ傍にあるのにと、口に出しかけてやめた。
Tは何事においても強引で有無を言わせないところがあったが、
16歳で親元を離れ下宿を始めた私には、その強引さが頼もしくみえた。

南的ヶ浜温泉は駅前通りを下り、左に曲がるとカプチーノを初めて飲んだ喫茶店がある。
観門寺公園、観門寺温泉を過ぎ、いい加減歩き疲れたころトンボ東映が見えてくる。
南的ヶ浜はその隣だ。Kの本当のお袋はトンボ東映でモギリをやっている。
後妻のお袋とはそりがあわないのか、生みの母親のところばかり出入りしている。
KだったのかTだったのか喫茶店に連れて行かれたのは。
当時は喫茶店に入っただけで謹慎処分を喰らっていたので、恐る恐る茶店の階段をあがった。

カプチーノなんか私に飲ませるんだからやはりKかな?けっこう洒落者の彼、
髪は少し長め、ベルボトムジーンズを幅広のベルトで決めていた。
彼とは大和や富士見第一温泉へ、ごく当たり前のような顔をして湯に浸かっていた。
その頃はとても身近に湯があった。朝、夜はもちろん、夏は学校から帰ると速攻だ。
洗面器が似合う街、それが街の風景だった。
湯の中では今日の出来事などの近況報告、子供心にも見慣れた顔がないと不安な気持ちになる。
その頃の私は、瀧見温泉で月極入浴。湯を浴びた後は隣の秋葉書店で立ち読み、
帰りはあの狭い路地から部屋へ戻った。翌年ビートルズが解散。
Tはオリビアハッセーを心酔し、深夜自宅ビルの5階から雨樋を伝って降り、
彼女と駆け落ちをした。ギターが弾けたKと私はグループを組み、下手糞な唄を唄い始めた。
三島の叫びは、その後もう1年待たなければ聞こえてこないが、
拓郎の唄は既に街の中へ流れていた。そんな風に60年代終りが駈けて行った。
  『 私は今日まで生きてきました 』