お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

“ じい ”

じつにお見事、まったくないのである。
頂上にも側面にも、後ろに廻ってみても、生えていた痕跡すら伺えない。
とても、おハゲな “じい ”。暇さえあれば、糠袋で頭を磨いていた。
明るく輝く 『 明治 』 生まれ、頭は 『 ピッカピカ 』 。
吸っている煙草もずばり 『 光 』 、おまけに名前が 『 金次郎 』 。
本当に、できすぎなのである。


自転車で20分くらいのところに “ じい ” の家があった。
前には神社があり、秋祭りの時はコンコンチキの山車が境内に勢揃い壮観だった。
“ じい ” に、山車の踊り舞台に乗せてもらうのが楽しみだった。
横の広場にはとてつもなく大きないちょうの木があり、
秋には落ちてきた銀杏を投つけてはよく戦争ごっこをして遊んだ。


“ じい” の家の風呂は五右衛門風呂、子供の体重ではなかなかあの底板が沈んでくれなくて、
バランスを崩しては鉄釜に触れアチチの苦手なのである。
じいの気が向けば、孫の私たちを連れて町の銭湯へ行く事だってあった。
ゆっくり歩く “ じい ” をうれしさのあまり手を引っ張ったり、後ろから押したり・・・。
んもう狂喜乱舞♪ 何故かって、ここにはなんとすべり台があったんだ。
湯船の真中に、少しカーブしながら湯船に落ち込むタイル張りのすべり台。
風呂どころではなく、私たちには遊園地状態。体なんて洗っていたのかなぁ?
だけど、大人から叱られた覚えがまったくないのが不思議な気がする。
今見ればお粗末なものなのかも知れないが、薄ピンク色の滑り台。
一番てっぺんに陣取れば、そこはもう子大将の指定席だった。
何でもできそうな、どこへでも飛んでいけそうな気がした。
そこから私の 『 お馬鹿の高登り 』 が始まったのかしらん。
風呂上りには、お決まりのヨ―グルトンを飲んだ。
そして、たまには隣の親玉で一口サイズのやぶれ饅頭を買ってもらうのもうれしかった。


そうだ、あの町を訪ねてみよう。弾むような笑顔していた無垢で純な私に、会いに行こう。
どだい無理な話は百も承知、おそらく会うことなんてできないはずだけど。
その時は、記憶の上をそろりと歩いてみることにしようか。
きっと残像の中から輝きのかけらを、感じることができるはずだ。
ただ歳だけを重ねてきただけの私には、今だからこそ必要な気がする。
“ じい ” と違って、髪の毛のあるうちに・・・。