昭和60年、大分商工会議所青年部の呼びかけで誕生。
目標は、10年で街の文化となる祭を創ることを提案。
青森の 『 ねぶた 』 を参考に、
63年の 『 大分七夕祭り 』 に1基で参加した。
山車の絵柄が子供の頃遊んだ " ぱっちん "
( めんこ ) のようだと当時の市長が評したことから
『 府内ぱっちん 』 と命名された。
府内とは、大分市中心部の昔の呼び名である。
平成5年に府内戦紙と名前を改め、
行政の呼びかけもあり年々参加者が増え、一日枠での実施となる。
( 以上、オフィシャルサイトより抜粋・追加編集 )
平成5年、ケーブルテレビでの全国放送が開始。
34回目の今年は、240局以上で生中継されるまでに。
開催されるごとに、弊社も少なからず恩恵をいただく。
企画にロゴ制作など、当初から参入。
はっぴを含め幟や祭り用品を含め、そのほとんどを賄うようになり
繁忙期と重って表現できないほどのうれしい?悲鳴 !!
今日は仕事を終え、エアコンの効いた我が家でTV観戦。
知り合いの、池辺代表が率いる " 潮太鼓 " のふれ太鼓で開始。
山車や踊隊が動き始めると、何故だか心騒ぐ。
若い頃、動員で参加した事を懐かしく思い出した。
ご盛況なにより、関係者のご尽力に心より感謝。
1基から始まった府内紙戦、今年は26基の山車が集結。
子供ぱっちんや、市民の飛び入りも可能な地域に根付くまつりに成長。
継続は何事にも代えがたい力、きっと次の時代へと繋がるはず。
今夜は、平成のラストラン。
年号が変わっても、幾久しい隆盛を願うばかり ・・・ 。