お昼寝マンボウの日記

温泉・花たび・お外でランチ、とにかく何でも興味ありのデベソおいさん。日々の、拙い出来事を記録しちょります。

あ い

平成11年夏、訃報が届いた。道路拡幅のため、末広町にある『瀧見温泉』が廃業するという。声がでなかった。その事を紹介する新聞の記事を、何度も何度も読み返した。16歳で親元を離れて暮らし、共同温泉というのをはじめて利用したのがこの町の『瀧見温泉』だった。何かに、置き去りにされていくような気がした。

翌日、仕事を手早く終わらせて別府へ向かった。国道を左折して、秋葉神社の前を通り過ぎると家がだんだんまばらになり、柵が設置され資材の搬入や工事関係の看板などで、覚えのある懐かしい風景は広い空間になっていた。そして、ガード前に吉松さんの家の灯かりが見えてきた。
『こんばんは』・・・。『はい、はい。失礼ですが何方ですか?』
毎朝、スクーターのラビットに乗って郵便局に通っていたおじさんが、年老いて目の前にいた。 
『あの・・バカ坂です』 
『えっ!ワッセか?』
『はい!』 
『おーい、かあさん。ワッセだ、ワッセが来てるぞー!』
奥からおばさんが、足を不自由そうに引きずりながらゆっくりと出てきた。笑顔はそのままだったけど、その姿に私は思わず下を向いてしまった。無理もない。あれから30年、過ぎてきた時間が重く、そして辛かった。じっとしていることが嫌いで、いつも動き回っていた私のあだ名だけがそのまま残って・・・。おじさん、おばさん、僕も歳をとりましたよ。
『うちに下宿していた坊主が最後に入りたいそうだから、たのむわ』
吉松さんが前の八百屋に声をかけてくれて、風呂に入るのに了解をいただいた。おじさんの家は、おばさんの足のこともあって自宅に温泉を引き、ずいぶん前から『瀧見温泉』を利用しなくなっていた。丸いタイル張りの湯船、その淵からあふれた湯をうける側溝は、湯船に沿って放射状に木の蓋をしていた。当時のままの何も変わらない浴槽に体を沈めると、つまらない感傷なんて余計な事だ、と言わんばかりに45℃を越す熱湯が突き上げてきた。不老泉からの引き湯だけれど湯船が小さい分、湯温は源泉の温度に近く、掲示板に使用温度48℃と書かれている。現在の建物は昭和31年に改築、明治42年開設当時は、ここからラクテンチ裏の乙原の滝が見えたという。

吉松さんは、あと少しでこの場所から移転して行く。そしてそのうちに、2階にあった下宿の部屋も、表具をしていたじいさんの作業場も、あの路地も、町の匂いも近所の人たちの声も、車の音にかき消されてしまうのだろうか。せめて、お二人が穏やかに暮らしてほしい、そう心の中で頭を下げた。