幕末 長州藩の関門海峡封鎖に対するオランダなど四ヶ国連合艦隊が報復の動き。
神戸を立ちまず佐賀関に上陸。佐賀関街道・肥後街道を歩き、熊本経由で長崎へ。
参勤交代の名残りが残る野津原今市の石畳、こちらにも海舟一行の足跡が。
『 十七日、野津原に宿す。五里、山の麓にて、人家可ならず 』
『 八幡川あり、大低一里半ばかり、川堤に沿うて道あり 』
『 海道 ( 街道 ) 広く、田畑厚肥、桃菜花盛』と、海舟日記に記されている。
少し肌寒いけど、いい天気。
今市宿の石畳は全長660m、途中に " 信玄曲り " 、と言うクランク状の曲がり角。
うれしかったのは、そこここに地元の方が用意されているお茶やお菓子のお接待。
『 あんた達、ちょっと休んで行かんね。コーヒーもあるけんな 』と、お母さん。
一服いただいて、丸山神社にお参り。
石段を上がれば日光東照宮を模した楼門が向かえてくれる、来年で建立300年。
境内にはその楼門改修の記念碑・・・ん? お義父さんの名前が。
そう、ここはお母ちゃんのふるさと、一緒に歩けば思い出話が後から後から。
ありがたいおもてなしにも触れた春の一日、明日はもう清明 ♪